鍋料理
日本では鍋料理は冬によく食べますが
夏にはあまり食べませんと言われる方が多いのではないでしょうか
ところがアジアの国々を旅しますと各国屋内はもとより屋外でも
よく鍋を突っついて食べている光景を見かけますね
しかも日本とは違い暑い国でも真夏でもお構いなし
大人数でまた時には一人で鍋を食されています
「鍋文化」は日本だけのものではなく
アジア共通の食文化なのかもしれません
さて「しゃぶしゃぶ」と言うくらいですから
きっと日本が発祥と考えておられる方が多いと思います
フビライ・ハーン
ところが驚くことにその歴史を紐解くと
フビライ・ハーンの侍医である忽思慧の考案によるとされています
モンゴルのお話ゆえ当然お肉は羊肉です
モンゴルは砂漠で夏は涼しく冬はマイナス40℃にもなります
あらゆるものが凍り当然羊肉も凍ります
凍った羊肉を何とか食べようと
ナイフでそぎ落とし沸かしたお湯にくぐらせ
食べたのが始まりとされています
モンゴルの伝統料理は
基本的にお肉を煮込みます
お水を使わず蒸し焼きにする料理もありますが
基本的には煮込み料理が多いです
お肉をブロックのまま煮込む料理方法は以前からあり
煮込んだあとナイフでスライスして食べていました
凍ったお肉をスライスしてからお湯に入れそして食べる
という方法は後から広まったみたいです
「涮羊肉(シュワンヤンロウ shuàn yáng ròu)」
また、北京の火鍋料理に「涮羊肉(シュワンヤンロウ shuàn yáng ròu)」
という羊肉でしゃぶしゃぶする料理があります
「涮(シュワン)」は「すすぐ」とか「ザっと洗う」という意味で
「羊肉(ヤンロウ)」は文字通り羊の肉という意味です
中国では元々宮廷料理として発展しますが
清王朝(17世紀から20世紀)の時代に一般民衆にも広まったそうです
ただ、中国の火鍋に用いられる食材は
日本のしゃぶしゃぶのようにすぐに火が通るものばかりではなく
しばらく煮込む食材も多いので
火鍋=しゃぶしゃぶではなさそうです
「牛肉の水炊き」
さて日本ではどのようにして生まれ
どのようにして広まったのでしょう?
「しゃぶしゃぶ」は日本料理ですが
日本の起源については諸説あります
1944年(昭和19年)に初代が廃業した京都祇園の料理屋「十二段家」を
1945年(昭和20年)9月に二代目西垣光温が再興します
鳥取市出身で民芸運動の指導者であった吉田璋也は
戦時中に軍医として北京に赴任していました
その北京で中国の伝統的な鍋料理である
「涮羊肉(シュワンヤンロウ)」に出会います
帰国後吉田は「涮羊肉(シュワンヤンロウ)」を西垣に紹介し
調理方法を教え後にはメニュー開発にも協力したそうです
西垣は吉田のほか交流のあった柳宗悦や河井寛次郎らの助言を得て
羊肉を牛肉に替えたり日本人の口に合うゴマダレを開発しました
また鍋を熱伝導の良い銅で作り
2年近く試行錯誤を重ねて現在の形となったそうです
そしてその料理は1947年(昭和22年)に
「牛肉の水炊き」として売り出され
新しい味は評判を呼び
さらに民芸運動に携わる人たちによっても日本全国に広まっていきました
なお吉田によるしゃぶしゃぶの原型「牛肉のすすぎ鍋」は
現在でも鳥取市のたくみ割烹で供されています
「しゃぶしゃぶ」
「しゃぶしゃぶ」の名称は1952(昭和27年)
大阪の永楽町にあるスエヒロ本店の三宅忠一が
自店の料理として出すときに命名したものだそうです
従業員たちがたらいの中でおしぼりをすすぐ様子が
鍋の中で肉を振る様子と似ていることや
その際に立つ水の音がリズミカルで
新鮮に響いたことが始まりとされています
1955年(昭和30年)に商標登録されていますが
スエヒロが登録したのは「しゃぶしゃぶ」ではなく
「肉のしゃぶしゃぶ」だそうです
またお鍋ですが以前は普通のお鍋ではなく
しゃぶしゃぶ専用の特殊なお鍋が使われていました
しゃぶしゃぶ専用の調理鍋の中央にある煙突状の円筒は
開発当時七輪で鍋を加熱した際に要した排気経路だそうです
鍋の直径が七輪の直径よりも大きいため
不完全燃焼を回避する必要から設けられたのですが
煙突効果によって火力が増強されるという
副次効果も得られました
そしてその煙突状の円筒は
元々はそこから炭を入れるためのものだったみたいです
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